楽しく英語とつきあおう

2001年 9月 01日
作者: 代表 高山和子

何事でも そうだが、成果をあげようと思うと、ある程度長い間、その事を努力し続ける事が 必須である。 継続した努力なくして 短期間で結果を出そうなんて 、棚からぼたもち式に達成できるものなんて 何一つない。 特に英語の学習は 長い長い道程だ。 やっと一つ目標が達成できたと 思い、いい気になって浮かれていると、次に進むどころか、今 辿って来た道を また 後ずさりするか また 同じ位置で 足踏みするのを余儀なくされる。 だからこそ 継続なくして 前進なしだ。 だが 現実は、英語の学習を始めてから ある程度年月を経た人であるならば、学習当初の 英語に接する度に感じた あの新鮮さは 今や色褪せてき、ある種の倦怠期が忍びよってき、何年もやった割には それなりの成果が目に見えて現れず、少し嫌気がさしてきている人もいるかもしれない。 もし こんな思いに囚われている人がいるとしたら、あなたは決して一人ではない。

では この倦怠期をうまく乗り切るのにはどうすればよいか。 それには 発想の転換が必要である。 まず 言語とは大変奥深いもので、その深層構造には その言語を話す人の文化があり、思考過程があり、 一生たってしても マスターできるものではない事を再確認する事だ。 そう考えると、「もう5年も勉強したのに。」が、「まだ 5年しか勉強してない。」 と自ずと 思えるであろう。 たとえ 自分には 満足のいく結果が出ていなくても、学習の限られた時間内だけは、漫然たる日常生活から離れ、脳の思考回路を活発化にし、夢中になれたというのならば、それ はそれで有意義で、悔いのない時間である。 また 偏差値で能力を判定される事に慣れきっている日本人はえてして、 他人と比べる事で 自分の学習進度を 判定する傾向があるが、それは間違いである。 英語の色々な試験に合格するという目先の目標を立てるのは大いに結構。 だが あくまでも、英語の学習は自分の為に、自分を成長させる為に、そして 生活を豊かにする為の手段であるという根底を銘記する事である。 そうすると 試験の結果は大切であるが、それによって一喜一憂しなくてもよい。 試験に合格するためだけに英語を勉強せざるを得ない学生ならまだしも、学校を出てしまって再度挑戦する英語学習者には 英語をもっと大儀でとらえるというメリットがある。 日常生活に少しでもめりはりを与えてくれる英語に感謝し、学習の過程を楽しんではどうだろう。 聴いた事もないような言い回しや、単語に出会う度、またかとがっかりする代わりに、よし覚えるぞという意気込みでメモをとるなんて、学生時代に戻ったよう な若返った気分になるはずだ。 時には 怠慢や弱気になる自分を叱咤激励し また 時には 自分の努力を褒めてやりと、自分を見つめながら、楽しく英語とつきあって行くうちに、知らず知らずのうちに実力がついてくるものだ。

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代表 高山和子 について

岡山県 津山市出身。英語講師。米国ドレーク大学大学院修士課程修了。帰国後、英語教育に携わり、'90年津山市にライト外語スクールを開校、本物の実力を身につけさせる指導に定評がある。国際ロータリー財団奨学生、英検1級、TOEIC 990点、国連特A級。 フル・プロファイル