まずは、コンプレックスを捨て去る事

2000年 9月 01日
作者: 代表 高山和子

夏から秋への移り変わりの時季、夏の大好きな私は この過ぎ行く季節を惜しみつつあるこの頃だ。 カレンダーはもう すぐ「長月」だ。 文字通り、秋の夜は長く なんだか 落ち着いて読書や学習に身が入る 最適な 季節であると思う。 私も、以前から読む予定で買いだめしている本に どれから手をつけようかと 楽しみにしているところだ。

さて 最近では テレビ、新聞等で英語教育や日本人の英語力に関して論ずる記事や番組をよく目にするが、日本における 英語教育は不完全であることに加えて、日本人は英語が苦手な国民であるという既成概念を上塗りするような内容のものが多いのが現実ではないだろうか。 テレビの某お笑い番組などは、毎週 英語の話せない人をインタビューし、間違いが滑稽であればあるほど、お笑いを引き寄せるというものもある。 きっと視聴者も、大多数の人が英語を喋れないのを見て、やはり日本人には英語は無理なのだと確認をとって内心安心している人も多いのではないだろうか。 しかし、この既成概念こそが 英語学習の妨げになるものだ。 まずはこの「苦手」コンプレックスを捨て去り、「言葉」としての英語に、若者も、中年も、シルバー世代の学習者も生涯学習として 世代を超えて取り組んでいただきたいと思う。 確かに、インド・ヨーロッパ語族に属さない言語を話す私達にとって、英語の習得は棚からぼたもち式にはいかず、日々の地道な努力が必須であろう。 しかし、英語が日常生活で 受け身的にせよ氾濫している現代社会においては 目的を設定し、その目的に向かって突き進んでいくと、自分の意志疎通が図れるまでには必ずや達成できるのだ。 そのレベルまで達成すると、あとは英語、日本語に関わらず、自分の意見をどの位持っているかという問題になり、英語を駆使し 何を相手に伝えるか、すなわち知識の幅を広げることが重要になってくると思う。

「英語が話せると、10億人と話せる。」とは某英会話 学校の宣伝文句であるが、実際、この10億人の中で、英語を母国語とする人はその半分にも満たないのだ。 つまり 色々な国々の人が英語を手段としてコミュニケーションを図っているのである。 インターネットの普及にも伴って、もはや英語は英語圏のみの言葉にとどまらない世界語である。

CNNでは世界各国のニュースキャス ター達が、独自の母国語訛りの英語で見事にニュースを伝えている。 私は、かつて ジョージア州で 同じ奨学金をもらって学んでいる、世界42カ国からの152名の奨学生達と約1ヶ月ほどすごす機会があったのだが、メキシコ人、インド人、エジプト人、ド イツ人、フランス人、ノルウェー人、リビア人、モロッコ人 その他 皆、癖の強い母国語訛りをまったく臆すること無く、堂々と自分の意見を述べていた。 アメリカでも 大都市に行くと、人種のるつぼで「下手な英語」が飛び交っているのが現状だ。 私はこれを見て、なんて英語とは素晴らしい世界語なのかと感激したものだ。 実際、世界中でも、英語圏に於いてでさえ 辞書に出てくるような「正しい」英語を話す人なんて 少数派なのである。 だから 私達 日本人は小さな文法的間違い、発音間違いに気をもむよりは この英語の多様性を認めて、「英語は出来ないもの」という呪縛を取り除き、もっと図々しく、コミュニケーションを図ってもいいのではないだろうか。 そして 目的意識を持って 学習のプロセスを楽しむうち 結果は自ずとついてくるであろう。

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代表 高山和子 について

岡山県 津山市出身。英語講師。米国ドレーク大学大学院修士課程修了。帰国後、英語教育に携わり、'90年津山市にライト外語スクールを開校、本物の実力を身につけさせる指導に定評がある。国際ロータリー財団奨学生、英検1級、TOEIC 990点、国連特A級。 フル・プロファイル